茶道裏千家の千玄室さんがお亡くなりに。茶道の研究もとでもいいですね。赤田塾からも茶道の研究で大学院い進学した人たちは何人もいますよ。

 持ち前の行動力で積極的な「茶の湯外交」を展開、国際平和と日本文化の継承に一生をささげた裏千家十五代家元、千玄室さんが帰らぬ人となった。1951年から海外へ茶道布教を始め、60カ国以上を歴訪。日本最大規模の茶道組織を「世界の裏千家」へと導き、「国際茶人」と呼ばれた家元の訃報に、門弟や財界人など多岐にわたる友人らは、大きな悲しみに包まれた。

 茶道に生きていこうと決心したのは、戦争が大きな転機になった。学徒出陣した家元は、配属された徳島航空隊が特攻基地だったため毎日が死と対面する日々。出撃する戦友のために茶をたてた。この時「生きて帰れたら、茶道を通じてみんなのために働こう」と誓ったという。

49年、若宗匠に。51年、茶道の国際化を目指して単身渡米。ニューヨークではノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士を説明役にお点前を披露した。84年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世に謁見(えっけん)した際には「平和のためにお互いに尽くしましょう」と手を握って励まされ、茶を通じて国際平和と文化交流に寄与しようと意を強くした。「教皇の手のぬくもりは忘れたことがない」と言うほど、生涯の思い出になった。

 先代の急逝に伴って64年、家元を継承。以前にも増して「茶の湯外交」に取り組んだ。国際化のキャッチフレーズとして自ら考え出したのが「一碗(いちわん)からピースフルネスを」。一杯のお茶から平和を生み出そうという意味のほか、グリーンの抹茶は自然を表し、自然を大切にしようという呼びかけでもあった。

 海外布教と並行して茶道を学ぶ留学生も積極的に受け入れた。世界各地に海外出張所・協会を設置。「ウラセンケジャパン」という表書きだけで海外から郵便が届く「世界の裏千家」へと飛躍させ、国際茶人として内外から慕われた。

学徒出陣で特攻基地 千玄室さん「茶の湯外交」で平和と文化にささぐ

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